埼玉県狭山市の自動車整備工場、FTECコーポレーションが、主に特殊整備にカテゴライズされる業務内容を紹介するブログです。

サリーンS281SCのエンジン整備 1/3

サリーン S281SC です。
エンジンの整備で入庫しました。

ベルトトレーン周辺から、嫌な予感のする高周波の金属音が聞こえます。
いちど発生するとアイドリング状態でも数分間続き、治まりません。


エンジンフードに開けられたダクトはダミーではなく、パネルの裏骨を通じてラジエターのファンシュラウドとエンジンのフロントカバーの間、丁度ベルトトレーンの上方に開口しています。停車中はこのダクトを逆流して雨水がエンジン前周りにかかるので、特に融雪剤を散布する地域では腐食対策が必要です。

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ダクト開口部はファンシュラウドの後方です。

サリーン オートモーティブは、カリフォルニア州に本拠を置く自動車部品のメーカーです。1980年代からフォード マスタングでSCCAのレースに参戦し、スーパーチャージャー付きのコンプリートカーを一部のフォードディーラーに卸していました。

Saleen Mustang (1987)

2000年には独自設計のミッドシップスーパーカー「S7」を製作してレーシングカーコンストラクターとなり、程なくフォードGTダッジバイパーの組立や塗装を請け負うまでに事業を拡大させました。

Saleen S7

サリーンは、大手自動車メーカーのティア1サプライヤーになってからも、限られた予算で高性能を楽しみたい個人向けの開発を続行しました。今回 FTECに入庫したS281SCは、S-197マスタングGTのオールアルミニウム 4.6L(281cid)V型8気筒 可変バルブタイミング機構付き24バルブエンジンにスーパーチャージャーを組込み、レース用ブレーキシステムとサスペンションを備えたコンプリートカーとして世に送り出されたモデルです。

Saleen S281 SC Specification (2007)

サリーンS281SCは、自動車メーカーと協業関係にあるサリーンオートモーティブの設計で誕生し、年次改良を重ねて熟成されたクルマなので、正しい整備を施せばベース車同様に運用できる耐久性が備わっています。その正しい整備の必須要件は、正規のサービスマニュアル(ワークショップマニュアル)に則ることであると、FTECコーポレーションは考えます。

整備の着手にあたり、

・Ford Mustang Workshop Manual 2005-2010
・Ford Mustang PC / ED Manual
・Ford Mustang Wiring Diagrams
・Saleen Series 6 Supercharger KIT Installation Manual 2005-2009

これらの資料を準備しました。

それでは、現車を見ていきましょう。


ベース車マスタングGTのモジュラーエンジンがVバンクの間に抱えていたプレナムチャンバー(スロットルボディからインテークポートまでの共鳴管)のスペースに、リショルム式コンプレッサーと水冷式インタークーラーを一体化したスーパーチャージャーユニットが納まっています。

スロットルボディを通過した吸気はユニットの上を越え、ファイアウォール付近で向きを変えてコンプレッサーに到達し、コンプレッサーは圧縮した空気を上向きに吐出します。

吐出された圧縮空気はコンプレッサー上部を覆う水冷式インタークーラーで冷却されてマニフォールドに充満し、各気筒のインテークポートへと送り込まれる仕組みです。

吸気の通路を成すスーパーチャージャーとインタークーラーのケース、オルタネーターを移動させて前後逆向きに装着するブラケットなど、主構造がすべてアルミダイキャストでコンパクトに製作されていることは特筆に値します。


はじめに、プライマリーチェック(Important Primary Check)を行います。これは自動車整備士が症状に目を奪われて視野狭窄を起こさないために有効な手段であり、原因の特定を早めて症状の再発を遅らせる効果があります。

スキャナーを使った点検では、DTC(Diagnostic Trouble Code)の確認と共に、冷機時から暖機完了までのライブデータの推移に注目します。今回のように、症状が出たり出なかったりする場合には、オーナーから寄せられたコメントを玩味して症状が出やすい条件を特定する必要があります。

ワークショップマニュアルの活用は、このクルマが誕生した社会的背景を俯瞰する所から始め、症状に向かって徐々に焦点を集中させることが肝要です。サリーンS281SCはマスタングGTをベースとした改造車ですから、改造によるサービスデータの変更点が当然あります。

エンジンオイルは、SAE 5W-30以上に粘度の高いものが推奨されていると判ります。

キャップの記載は5W-20。

エンジンの冷却水は、ベース車の倍のペースで交換が推奨されています。


インタークーラーの冷却水は、50%希釈で5万マイル毎の交換が推奨されています。


現車の走行距離は5万マイルの遥か手前ですが、

・既に故障の前兆が現れていること
・前オーナーの乗り方がわからないこと

等を鑑み、推奨されているスケジュールを前倒しして整備を実施します。


ルーティンメンテナンスの一環として交換するのは、

・エンジン冷却水
・インタークーラー冷却水
・エンジンオイル&オイルフィルター
・スーパーチャージャーオイル
・スパークプラグ
・エアフィルター

こうした消耗品はエンジンの広範囲に影響を与えるので、予防的な交換に意義があります

2系統から冷却水を排出

エンジンオイルを排出

新旧スパークプラグを比較

磨耗は一目瞭然

サリーンが装着したスーパーチャージャーを含むエンジン補機類のドライブトレーン(アクセサリードライブ)には、融雪剤によるとみられる腐食とベルトの摩耗によるデブリの付着が認められます。アイドルローラー3個とテンションローラーは交換、その他のプーリーは清掃して新品ベルトを取付けます








と、ここで思わぬ問題が生じました。新品プーリーを手配する際、サリーンの記録と現車のプーリーが違うことが判明したのです。

Vバンク中央にスーパーチャージャーを追加してオルタネーターを前後逆に装着、ベース車同様にサーペンタインベルト(ベルト1本)で駆動するベルトトレーンは、サリーンの設計によるものです。

こちらが、S281SCのベルトトレーンを正面から見た図、

Accessory drive for Saleen S281SC (2007)

こちらが、ベース車のベルトトレーンを正面から見た図です。

Accessory drive for Ford Mustang 4.6L (2007)

サリーン曰く、S281SCのアイドルローラーは、この組み合わせであると。

Saleen said...

しかし、現車はこのように組まれています。

Actual placement

これらのプーリーを詳しく調べると、

・φ90 :12021-73 11868 Mustang 純正品
・φ76 :12021-73 08268 Lincoln 純正品 

と判りました。

サリーンが現在も供給しているのは、φ76(Saleen P/N : 00-1604-C099580) のみです。
φ90はフォードディーラーで調達できますよ、ということですね。

どちらの組合せが正しいのかを確かめるために、ベルトの長さを比較します。

サリーンが指定するベルトは、
・Goodyear Gatorback 109.0" (Saleen P/N : 00-1604-C11170)



現車のベルトは、
・Continental Elite 4061090 109.0"


ベルトの長さは、まったく同じです。

しかも、φ90もφ76もエンジン側の取付け部は同じ形状。ベルトテンショナーは自動調整式なので、調整範囲に収まってしまえばサリーンの主張通りにも組めてしまいそう。

FTECでは、このような矛盾に遭遇した場合、現車の状態を正解と見做します。なぜなら、現車の状態で既に運行した時間と距離より、整備後の作動テストと走行テストの方が短いことは明らかだからです。

しかし、今回はサリーンの主張通りに組めるのかも確かめました。ベルトの表面から生じたデブリがプーリー側に付着する原因のひとつにベルトのスリップが挙げられ、プーリーの配列問題はその耐性に影響が大きいと考えたからです。

サリーンの主張は上の写真、現車の組合せは下の写真です。ほとんど同じに見えますが、比較すると向かって左に1つ、右に2つ組んであるプーリーの直径が違うことに気づきます。

Saleen's recognition
φ76x1 φ90x2


Actual combination
φ90x1 φ76x2

ここまでは、どちらの組合せでも問題なく組めてしまいます。

次に、サリーンオリジナルのオルタネーターブラケットを組みます。向かって右側の2つのプーリーの上方にオルタネーターを前後逆にマウントするための、アルミダイキャストのブラケットです。


この際組んであったのはφ76x2、直径が小さい方のプーリーです。


ブラケットを締付けてベルトを通し、クリアランスをチェックします。


上側プーリーからオルタネーターまでのラインが非常にタイト。


再度取外してブラケットを観察すると、接触はしていないものの、ベルトのリブが映るくらいのクリアランスしかないことが分かります。この場所に、半径7ミリも大きいφ90のプーリーを組むのは無理でしょう。


これで疑念が晴れました。冒頭で述べた通りサリーンは卓越したメーカーですが、記録が間違っている可能性がゼロというわけではないのです。

正しい整備を施すために正規のサービスマニュアルが必要不可欠であることは揺るぎない事実ですが、それを踏まえた上で「現場」「現物」「現実」「原理」「原則」をもとに、合理的判断を下すのが自動車整備士の使命であるとFTECコーポレーションは考えています。

故障診断から部品の洗い出しまでで、随分長くなってしまいました。いまや日本には、サリーンの輸入代理店はおろかフォードディーラーさえもありませんから、整備関連情報の精査には時間がかかります。流通量の増えた情報を先入観にとらわれずに取捨選択する能力は、自動車整備士に求められる新しい資質といえるかもしれません。




上の動画は、サリーンS281SCが搭載するシリーズ6スーパーチャージャーの構成を、分かりやすく説明しています。古い磁気記録媒体から発掘したような映像の品質は良くないですが、アルミダイキャストで製作されたケース内の吸気が流れが一目瞭然です。


次回の記事では、このスーパーチャージャーユニットを含む部品やボルトナット類の点検と、それらを組立てに相応しい状態に仕上げる行程をお伝えします。