埼玉県狭山市の自動車整備工場、FTECコーポレーションが、主に特殊整備にカテゴライズされる業務内容を紹介するブログです。

パオのキャブレター調整

日産パオ(1989-91)です。
法定24ヵ月点検で入庫しました。

・冷間始動時のアイドル回転数が高過ぎる
・暖機後のアイドル回転数が低すぎて止まる

という症状を修理します。



現車の積算走行距離は、121,600㎞。

記録簿を精査すると過去に沢山の人の手が入っていること、中にはキャブレターをオーバーホールした記録もあると判明。

こうした情報を吟味してプライマリーチェック(IPC)にあたることは、現車固有の問題点を見定めて正当な調整を施すうえで、きわめて重要な要素となります。

.
パオ(PK10型)のベースがマーチ(K10型)であることは、広く知られています。
第2世代GT-Rの生みの親である伊藤修令氏が40代のときに開発主幹を務めたクルマです。

搭載するエンジン(MA10型)は、日産がアルミ製ブロックと中空クランクシャフトを初めて採用した世界最軽量の量産型1,000ccエンジン。パオはこのエンジンを、O2フィードバックを始めとする4系統のECC(電子制御)を備えた日立製キャブレターで制御しています。



外気温11℃の環境でファーストアイドル回転数は2,200rpm、そのまま放置すると1分ほどで2,500rpmにまで上昇します。アクセルペダルに触れると、まだ水温計が動かない段階でチョークシステムが完全に解除されてしまいアイドル回転数は700rpm以下に落下。苦し気で弱々しいアイドリングが続くうえ、車体に異常振動が伝播して今にも止まりそう。

この状態でエアコンを作動させると1,100rpmにアイドルアップするので幾らか円滑な回転が得られますが、完調とは程遠い印象です。


症状を確認したら、原因究明に着手します。

キャブレターに手を付ける前に、周囲の条件が整っているかを確かめましょう。バキュームホースの損傷や誤接続、インテークマニフォールドの負圧漏れ等があってはなりません


バキュームホースの取り回しは、エンジンフード裏に貼られたラベルで確認できます。
本来は系統ごとに色分けされているのですが、現車はすべて黄色に交換されています。

接続先とオリフィスの状態を確認して、次工程へ。


別のラベルでは、完全暖機後のセッティングも確認できます。

エンジン型式 MA10型(キャタライザー、キャニスター、EGR装備)
総排気量 987 ㏄

アイドル回転数 750 rpm(MT)
アイドル回転数 850 rpm(AT)

点火タイミング BTDC 15° / 750 rpm

CO調整値 0.1 %
HC調整値 50 ppm

現車の年式だと CO 4.5% / HC 1,200ppm が、保安基準の限度値です。


法定24ヵ月点検の一環で、シャシ下周りの点検もします。


4つあるエンジンマウントのうち、ひとつが破損しています。
エンジンの不快な振動が増幅されかねないので、交換します。



ディストリビュータを点検。キャップとローターは綺麗な状態です。
バキュームアドバンサの単体テストも行います。




□ マニフォールドの気密
□ バキュームホースの接続先
□ ディストリビュータの機能

いずれも目立った問題を抱えてはいません。
不調の原因は、調整の不良と見て間違いなさそうです。

周囲の条件を確認できたら、キャブレターの点検に着手します。


バルクヘッドとの隙間に鏡を差し入れてチョークシステムのリンクを確認。
変形や脱落がないか、仔細に調べます。


キャブレター前側には、油面(フロートレベル)を確認する窓があります。


破損していたエンジンマウントは、新品を入手できました。



左が旧、右が新。大分偏芯していることが判ります。


パワートレインの無駄な動きが抑えられて、ドライブが一層楽しくなるでしょう。




エアエレメント、左が旧、右が新。
こうして比較すると、光の透過率も随分違うものですね。



大量の記録簿を精査しても交換歴のない燃料フィルター。
ホースとホースバンドをセットで、交換します。




硬化して切り株のようにひび割れた燃料ホース。
放置すると、ガソリン漏れの原因になる可能性があります。

ホースバンドとセットで交換。





パオのエンジン(MA10S型)を制御する日立製キャブレターには、3つの調整用スクリューがあります。調整の手順は、以下の通り。

まず、完全暖機後かつ無負荷の状態という前提条件を調えます。

無負荷の状態とは、

□ パワーステアリング負荷
□ 灯火、デフロスタ、ブロアモータ、ラジエター電動ファン負荷
□ エアコン負荷

これらの負荷が、ひとつもかかっていない状態です。

次に、アイドル回転数と点火タイミングをセットします。

□ スロットルアジャストスクリュー(TAS)
→ 750rpm にセット

□ 点火タイミング
→ BTDC15° を確認

□ バキュームアドバンサ分離
→ ATDC2° にセット

この段階でアイドル回転数が低下することから、バキュームアドバンサがアイドリングでも強く作用していることが判ります。

その影響を確認したら、

□ スロットルアジャストスクリュー(TAS)
→ 750rpm に再セット

しましょう。

MA10S型エンジンは、4気筒 / 1,000㏄ / 圧縮比 9.5:1 。
規定値である750rpm(ATは850rpm)は、同種のエンジンに比べて低めです。

マルチシリンダーの大排気量エンジンのミクスチャー調整では、アイドル回転数を一時的に規定値より低くセットしたほうが楽なのですが、排出ガス対策(昭和53年規制)が入れ込まれた小排気量のMA10S型エンジンで同じ事をすると、吸気の流量が不足するうえ脈動が激しくなるので却って調整が難しくなります。

また、前述の通りアイドリングでバキュームアドバンサが17°も作用するので、吸気圧力が不足した状態で調整を進めるとセッティングが纏まらないので注意しましょう。


アイドル回転数を 750rpm に再セットしたら、ミクスチャー調整に移ります。

□ ECC(電子制御)フィードバックカプラー分離
□ スローアジャストスクリュー(SAS)

→ 二次空気閉塞で CO 2.0~3.0% を確認
→ 二次空気導入で CO 0.1% にセット


調整前のミクスチャーが大幅に狂っていれば、アイドリングを維持できる限界まで薄くするプロセスで再び回転数が変わります。影響が出たらその都度、

□ スロットルアジャストスクリュー(TAS)
→ 750rpm に再セット

を、繰り返しましょう。


ミクスチャー調整の最終段階では、前提条件で封印していた各種負荷をかけてみます。

□ パワーステアリング負荷
□ 灯火、デフロスタ、ブロアモータ、ラジエター電動ファン負荷
□ エアコン負荷

電気式のアイドルコンペセータが強弱2段階に作用して、アイドル回転数を高めます。

3種類の負荷のうちエアコン負荷だけは、独立したソレノイドバルブとバキュームダイヤフラムでアイドル回転数を高めます。どの程度高めるかは、ダイヤフラム中央のスクリューをマイナスドライバーで回すことによって調整できます。

一連の調整の結果、現車のセッティングは CO 0.1% HC 160ppm に纏まりました。
道路運送車両法に定められた保安基準を、悠々とクリアできる数値です。


完全暖機後のセッティングが決まったら、冷間始動時の調整に移ります。
チョークシステムを最適化し、春夏秋冬を問わず楽に始動できるようにしましょう。

チョークシステムの調整は、エンジンが外気温と同じ温度に冷えた状態が着手の前提条件になるので、前述のセッティングとは別の日に行わなければなりません。

パオのチョークシステムはフルオート式なので、真冬と真夏にセッティングを見直して中央値を求めていくのが理想です。このことは、かつて「6ヶ月点検整備」という習慣があったことにも関係しているとFTECは思います。

今回はチョークバタフライの隙間寸法を計算で求め、
→ 外気温20℃ で 0.44㎜

ファーストアイドル回転数は、
→ 外気温11℃ で 2,000rpm 

に調整して、作動テストを繰り返します。
早朝だけでなく日中にもテストして、中途半端な水温のときの始動性も確認しましょう。

フルオート式チョークシステムの解除タイミングが早すぎる症状については、バイメタルケースとキャブレター本体の位相を変更することが唯一の解決方法になります。

チョークシステム作動時のアイドル回転数は、スロットルリンクのチョークアジャストスクリュー(CAS)で調整します。

この手順を重ねることで、最適のセッティングに到達できます。セッティング時の外気温に配慮するのが整備士の務めであることは、言うまでもありません。

なお、この記事で触れたエアコン負荷用のダイヤフラム中央スクリュー、および日立製キャブレターが備える3種類の調整用スクリュー(TAS、SAS、CAS)は、すべてエンジンを掛けたまま調整することが可能です。


また、パオの運転席のサンバイザーには、チョークシステムの扱い方が書かれています。

取扱説明書がなかったり、キャブレター制御のクルマに乗った経験のない方のために、エンジンの掛け方を付記します。

■ 冷えているパオのエンジンを掛けるときは、キーを回す前に必ず

1. アクセルペダルを奥まで踏み込んで戻す
2. ニュートラルを確認してクラッチを踏み
3. キーをひねってエンジン始動

としなければなりません。

そして、そのまま放置すると、エンジンが温まるにつれて回転数は高まります。これは、徐々に暖機が進んでいるのに「チョーク」が最初の位置で働き続けている状態です。

チョークの解除は、

✓ アクセルペダルを1/3~半分ほど踏む

という操作でできます。


■ 温まっているパオのエンジンを掛けるときは、

1. アクセルペダルを1/3~半分ほど踏んだまま
2. ニュートラルを確認してクラッチを踏み
3. エンジン始動、即アクセルから足を離す

これが、正しい操作方法です。


最後に、エアコンの性能評価を行います。

現車はコンデンサー冷却用の電動ファンを改造しているので、写真にあるガスの圧力分布は他のパオにはあてはまりません。あくまでも参考値と捉えてください。冷媒はR12です。

ダッシュボード中央の吹き出し口で 8℃ の冷風を確認し、整備完了としました。


パオのキャブレター調整、いかがでしたか?
少し字数が多かったかもしれませんが、オーナーのお役に立てたら嬉しいです。

こうしてクルマ全体を見直すと、立派な志の存在を感じます。
パオは、決して見掛け倒しのオモチャではありません。

・油圧式パワーステアリング
・前ベンチレーテッドディスクブレーキ
・電動キャンバストップ
・3ウェイアジャスタブルシート
・マニュアルエアコン
・5人乗れるキャビン

これらを備えてなお、車両重量 790㎏ に収まっています。

ドアヒンジがプレス板金製ではなく、ダイキャスト製であるところも良い。
なにより、33年を経た今も、健康そのものです。


パオのベースとなったマーチ(K10型)の開発主幹がスカイラインGT-R(BNR32型)と同じ伊藤修令氏であることは、この記事の冒頭にも書きました。

追記するなら、パオの車体を製造した愛知機械工業は、日産GT-R(R35型)用の6速デュアルクラッチトランスミッション(GR6型)も製造している、ということを挙げたいです。


パオ発売当時(1989年)のキャッチコピーは、


「なーんにも考えていない強さ、パオ。」


実は、きわめて堅実に作り込まれていると知ると、「無能のふりがうまい秀才」みたいで、格好よく見えてきませんか?

最近は海外にも熱狂的なファンがいるそうですが、なんとか故郷日本の道にも健全なパオを遺していきたいものですね。