埼玉県狭山市の自動車整備工場、FTECコーポレーションが、主に特殊整備にカテゴライズされる業務内容を紹介するブログです。

リンカーンの駐車ブレーキ調整・2/2

リンカーン マークV (1979年式)。
左の駐車ブレーキの制動力が上がらない問題を解決します。


前の記事にまとめた点検によって、

✔ 症状を分析する

✔ 構造を理解する

✔ 原因を特定する

までを、完了しています。

現車は、駐車ブレーキの自動調整機構が機能していません。もし、修理の目的がレストアなら、ブレーキキャリパーのフルオーバーホールをするのが唯一の解決方法と断言できます。

しかし、車検整備の一環で明らかになった不測の事態なら、別の解決方法を提案できるのは担当の整備士だけだという事実にも目を向けるべきだとFTECは思います。

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別の解決方法を提案する理由とは、なんでしょうか。

現車は6年前に、駐車ブレーキの自動調整機構を含む全ブレーキキャリパーのフルオーバーホールを経験しています。その後の走行距離は約3,000㎞。年間500㎞程でしかありません。


→ リンカーン Mk.V のシャシー整備 3/5


右の駐車ブレーキが強力に効くうえ、マークVはシフトレバーの操作によって駐車ブレーキを自動で解除する仕組みなので、オーナーが駐車ブレーキの能力を疑う機会は無かったと考えるのが妥当です。シフトレバーをPレンジから動かすには主ブレーキペダルを踏まなければならないので、ⅮレンジなりRレンジなりでトルクが伝わる瞬間は必ず主ブレーキが機能しており、駐車ブレーキの能力を評価する機会は無いのですから、当然ですね。


そして、ここが一番肝心なところですが、主ブレーキの能力は完全であり、左右のアンバランスなど皆無であることがブレーキテスターで確認できているのです。


この状況で、もう一度欠品製廃の再使用不可能な部品群を探し集めて後ブレーキを分解し、アジャスターを整備する必要があるとオーナーに進言するのは、あまりにも教条主義的ではないでしょうか?


自動調整機構(赤色の部分)

自動車整備士の使命は、運行の安全を保証することです。整備するクルマのオーナーのみならず、他のクルマや歩行者の安全にまで、思いを巡らせて判断しなければなりません。

アジャスターで何が起きているのかを知りたいのは、整備士の性分です。
自動車メーカーは、マニュアル通りの整備しか認めないでしょう。

一方、オーナーの立場を慮れば、事前に不具合の自覚がなく、事後にも変化を感じられない整備に要する経済的負担は、苦痛でしかないに違いありません。

以上の考えに基づき、今回は駐車ブレーキを手動で調整することに決めました。

以下に紹介するのは、キャリパーのフルオーバーホール後3,000㎞しか走行していない現車だからこそ採れる方法であり、他のリンカーン マークVには通用しない可能性があるとご承知おきください。


■ 手動調整の準備

ブレーキキャリパーの背後でピストンの軸線上に設けられた駐車ブレーキのレバー機構は、下図のように構成されています。

レバーとエンドリテーナーを外した先にはシリコングリスで満たされた部屋があり、3つの鋼球が駐車ブレーキスラストスクリューに刻まれたふたつの連続した窪みの深い方に収まっています

もしこの部屋にブレーキフルードが滲入していたら、主ブレーキの機能を損なっています。その場合は、キャリパーのフルオーバーホールに修理方針を改める必要があります。


キャリパーピストンと駐車ブレーキアジャスターのセットに、スラストスクリューを仮組みした様子。2種類の特殊工具を使って、ディスクローターとパッドの間隔を 1.59ミリ(≒1/16インチ)以下に調整することは、既に何度も解説した通りです。

稼働状態のキャリパー内では、スラストスクリューはアンチローテートピンによって回らないように固定されます。主ブレーキの作動時にマスターシリンダーから油圧がかかるとアジャスター側が回り、ねじがほどけていくことによってディスクパッドが摩耗した分の間隔変化を相殺する仕組みでしたね。


2種類の特殊工具のうち下図のものは、エンドリテーナー裏のシリコングリスで満たされた部屋の中で、3つの鋼球がスラストスクリューのふたつの連続した窪みの深い方に収まり、かつその部屋の気密水密が完全に保たれていることを前提に、ピストンを戻す側に押し付けながら回すことによって、ディスクローターとパッドの間隔を最終的に1.59ミリ以下に調整するための工具です。

ブレーキキャリパーがすべての前提条件を満たしている場合に限り、ピストンを戻す側に押し付けながら回すことによって駐車ブレーキアジャスターの調整をすることは、正しい整備であると認めることができます。


ピストンをどれだけ回せば整備の目的を達成できるかは、計算で答えを求められます。

駐車ブレーキの制動力を回復させるには、3つの鋼球をスラストスクリューのふたつの連続した窪みの深い方に収め、

 ・3つの鋼球
 ・スラストスクリュー
 ・アジャスター
 ・ピストン

4種類の部品を、バックラッシュゼロに圧縮した状態でエンドリテーナー側に押し付けて、その状態でディスクローターとパッドの間隔を1.59ミリ以下にすれば良いのです。

スラストスクリューのピッチは、1インチあたり10山

ということは、ピストンを1回転させると、4つの部品を圧縮した長さは2.54ミリ変化することになります。

これに基づき、

「180°で  1.27㎜」
「120°で 0.847㎜」

「90°で 0.635㎜」
「60°で 0.423㎜」
「45°で 0.318㎜」
「30°で 0.212㎜」

が求められるので、ピストンを回す量を角度で決めることができるのです。現実には、180°も回せるようだと3つの鋼球がスラストスクリューのふたつの連続した窪みの深い方に収まっているかが怪しくなるので、最大で120°までと考えるのが妥当です。

https://ftecautorepair.blogspot.com/2016/06/LINCOLNMARKV.html

ピストンを回すことによってシールを損傷すると、パッド側にブレーキフルードが漏出します。シールが硬化していたり、ピストンに汚れや錆が付着していたり、シール面に巣があったりすると生じがちな症状です。これが出たら、潔くフルオーバーホールに方針転換をしましょう。


■ 手動調整の実施

ハブナックルから、ブレーキキャリパーとディスクローターを取り外します。

この段階でディスクローターとハブの接触面を清掃し、いささかの振れも生じていないことを確認します。振れ幅0.2ミリで30°近くも駐車ブレーキレバーの角度に影響が出るのですから、この確認は必須です。


駐車ブレーキレバーのボルトにレンチをかけて、レバーを解除方向に保持します。一般的なキャリパーピストンツールを使って4種の部品のバックラッシュをゼロに詰め、移動距離を把握します。

この際、駐車ブレーキレバーを作動方向に動かすことで、3つの鋼球が正しい位置にあるかを確認できます。何度か繰り返して移動距離を理解したら、ピストンを回す量を角度で決定します。


ピストンを回したら、ディスクローターとパッドを組んで隙間の測定をします。

仮組みの過程で駐車ブレーキレバーを動かしてしまうと4つの部品のバックラッシュが広がってしまうので、この点には特に慎重な作業が必要です。

この工程は2~3回繰り返すことになりますが、練度が上がるにつれて微調整が効くようになるので、ディスクローターとパッドの間隔を1.59ミリ以下にすることは難しくありません。


駐車ブレーキケーブルを分離した状態で、左右の駐車ブレーキレバーの角度を比較します。

左右とも駐車ブレーキレバーを解除方向に保持したうえで4つの部品のバックラッシュをゼロに詰め、ディスクローターとパッドの間隔が1.59ミリ以下になっていることを確認します。

リンカーンのサービスマニュアルに記載されているこの先の調整手順は、前の記事にあるので割愛します。




左右の駐車ブレーキレバーの角度の差は、駐車ブレーキ調整ケーブルのコネクターの角度に現れます。ケーブルと直角が理想であることは言うまでもありませんが、現実にそうなることはまずありません。


概念図では、駐車ブレーキのアジャスターからキャリパーまでのケーブルが同じに見えますが、現実のケーブルは左右の長さが3倍以上も違います。鋼線を縒ったケーブルには必ずスプリングバックがあるので、駐車ブレーキの解除位置では長い方を十分に引くことができるように公差の幅を認めることが肝要です。


こうして組み上げた駐車ブレーキを、前の記事に記載した、「正しく組み立てられたブレーキキャリパーにおける、駐車ブレーキの調整方法」で評価します。

正常と確認できたら、4輪のブレーキブリーダーからブレーキラインのエア抜きを行いましょう。ブレーキテスターで主ブレーキと駐車ブレーキ、両方の性能を証明できるはずです。


以上で、手動調整による駐車ブレーキの整備は完了です。

今と同じペースの運行が続けば、次に同じ調整が要るのは6年後でしょうか。

そうなったら、12年ぶりにフルオーバーホールをするというのも悪くないでしょう。


1台のクルマを長期間乗り続けるために「正しい整備」が不可欠であることは言うまでもありません。そして、自動車整備士が資料と実車を精査して「正しい整備」を見定めるときには、サービスマニュアルに無い方法を採ることも恐れてはならないとFTECは思います。

このマーク5がいつまでも健全に走り、判断の正しさを証明してくれますように。